多彩な動植物と豊かな漁場を育む緑深い森の島
村で最大のこの島には大里、片泊という二つの集落があります。他の二島に比べ島全体に森林が多く、動植物も豊富で、様々な渡り鳥や昆虫など、多彩な自然の姿が見られる島です。森林からわき出る清水は海岸の断崖で滝となり、白滝の美観を見せています。離れ瀬の多い島周辺には、絶好のフィッシングポイントが散在し、とくに塩手鼻、赤鼻などはイシダイのメッカと言われ、島内外から釣りマニアが訪れています。
緑豊かな自然環境のなか、椎茸栽培や大名竹などの収穫に恵まれ、特産品として出荷されています。また広大な土地を生かして牛の放牧も盛んで、足腰の強い「みしま牛」の育成に力が注がれています。海岸線の奇岩や断崖など景勝の地で、日没時の美しいサンセットラインは圧巻です。
周囲 | 20.1km |
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面積 | 15.51km2 |
人口 | 181人 (2019年8月1日現在) |
黒島は、硫黄島から約1時間で到着する村最大の島で、東西に大里と片泊の二つの集落がある。
周囲15.2km、面積15.3km2、標高622mの櫓岳を最高峰に500m級の山々がそびえ、森林と大名竹に覆われた自然豊かな島で、断崖絶壁の海岸線には、無数の滝が見られるこの島は、昔から雑木の宝庫で木炭の産地として栄えたこともあった。
また、昭和59年から、豊富な椎の木を使った、文字どおり「椎茸」の栽培が行なわれ、村の特産品として好評を得ている。
この島も、他の島と同様、畜産が盛んな島である。また、昭和34年、有吉佐和子さんの朝日新聞連載小説「私は忘れない」が映画化、松竹映画の撮影ロケ班一行が20日間にわたり黒島に滞在してロケが行なわれ、島民多数が出演した。これを記念して平成4年に「有吉佐和子文学顕彰碑」が建立された。
明治28年、台風で塩手鼻に避難していた漁師たちが、突風にあおられ岸壁に激突。「黒島流れ」と呼ばれるこの事故によって亡くなった411名の犠牲者を悼み建てられた観音像です。
昔から九郎大明神とも黒尾大明神ともいわれています。文禄4年(1598)以来の棟札がありますが、古い記録には祭神不明とされています。
作家・有吉佐和子は昭和43年、黒島を舞台にした小説「私は忘れない」を発表。同年、小説をもとにした映画が黒島ロケによって撮影されました。有吉さんを偲び「私は忘れない」の題字を刻んだ碑が建てられています。
特攻撃平和観音像
太平洋戦争中に鹿児島県大隅半島の基地から特攻隊員として出撃し、黒島に不時着。島民の助けで生き延び、終戦までを戦友と共にこの島で過ごした元特別攻撃隊・江名武彦さん(川崎市在住)が2004年に建立した像です。戦争で散った友への思いと平和への祈りがこめられ、毎年慰霊祭が開かれています
大里港背後の丘の上に建つ、琉球造りを思わせる朱と白の建物。久遠の昔から、島民たちが生きるためにいろいろな動植物の命を絶って食してきた罪を供養するために建てられたものです。
緑豊かな森林からわき出る清水は、海岸の断崖で無数の滝となり、白滝の美観を見せて海へ注いでいます。
1.招福守護神 3.菅尾神社 4.立山牧場
5. 6.黒潮牧場 7.カムゴ山
8.横岳山 9.檜岳 10.尾平瀬牧場
11.平家城跡 12.浜深谷牧場 13.花立山
14.赤鼻牧場 15.大里ふるさとセンター 18.アコーギ牧場
19.カム郷牧場 20.大里発電 21.大里健康広場
23.三島特産品加工センター 24.冠大神 25.大里の大墓
黒尾大明神社昔から九郎大明神とも黒尾大明神ともいわれている。文禄4年(1598)以来の棟札があるが、古い記録には祭神不明とある。 祭祠は、2月9日、9月10日、11月10日の3回である。
冠大神冠岳(今は崩落してない)の頂上付近にあった神社。古来、天狗神を祭ってあると伝えられている。小さな木造の社が3つあり、左を太郎坊、右を次郎坊という。神体は自然石(100余り)である。昔から(島民に)畏敬されており、参拝のとき身を洗い清め裸足になっていくところであった。戦前は、出征兵士の無事を祈願し、戦後は、島を離れる若い人たちの健康と幸運を祈願し、白旗1本を奉じている。※冠岳は崩落したが、この神社だけは難を逃れたので、近くの安全な場所に移設されている。
イバドンの墓文治4年(1118)、源氏の武将宇都宮信房が、平氏打倒に連れてきた勇士一族の大庭三郎家政は、平家の美しい娘に恋をし、打倒軍引き上げの後も島に残り、娘と夫婦になり、日暮村で暮らした。村人は、「大庭ドン」と呼んでいたが、いつしか訛ってイバドンになってしまった。大庭三郎の死後、そこに墓が建てられた。日暮村一の美女を見初めた人と言うことで、この墓を掃除するときは、若年の少女ほど墓に近づけたという。6月23日には、片泊の女性は、この墓を掃除し、花や団子を供え踊りを奉納する。
菅尾大明神社「三国名勝図会」に祭神不明、神体鏡二面、自然石16体とある。寛永6年(1629)以来の棟札に、黒島大明神とも、黒島菅尾大明神とも書いている。祭祀は、2月10日、9月11日、11月11日で年3回行われている。
黒島大里八朔踊りこの踊りは、面踊り・相撲踊り・大名行列・長刀踊り・弓矢踊りの5種からなる。昔は、旧暦8月1日に奉納していたが、現在は9月1日になっている。この5種の中で特徴的なものが「面踊り」で由来ははっきりしないが、子孫繁栄と五穀豊饒を祈る踊りといわれている。
黒島にある二つの集落(片泊・大里)には、お盆の時期に同じ時間帯に踊られる独自の盆踊りがある。
片泊集落の盆踊りは、念仏踊りの一種である「太鼓踊り」や「笠踊り」のほかに、病気や災害等で亡くなった人(新仏)の霊を鎮め慰め、その家族の前で供養の意を表す「供養踊り」がある。
大里集落の盆踊りは、踊り手が頭にテヌゲー(手ぬぐい)を被って故人の霊(魂)となって踊る「弓や踊り」や、初盆を迎える家や太夫、庄屋宅で踊る「弔い踊り」などがある。