三島村は、薩摩半島南端の長崎鼻から南南西約40kmの位置にある「竹島・硫黄島」、坊ノ岬から南西約50kmの位置にある「黒島」の三島、及び無人の「新硫黄島」や数個の岩礁から成り立っており、九州南端から南西にのびる南西諸島の最北部に位置しています。
竹島と硫黄島及び周辺の岩礁は中新期琉球火山脈に属する大型カルデラで、6,300年前に大噴火した鬼界カルデラの北西縁にあたる陸上部分をなしています。
また、黒島は宇治群島や草垣群島などと共に旧期琉球火山岩帯に属しています。
竹島は、鹿児島港から約3時間、鹿児島市に一番近い島です。
周囲9.7km、面積4.2k㎡で、もっとおも高い山でも220mという平坦な、竹島という名のごとく島全体が竹に覆われた畜産の盛んな島です。
また、この豊富な竹林から取れる筍の王様「大名竹の子」は、村の特産品に加工され、その味の良さから来村者のお土産に喜ばれています。
硫黄島は、竹島から約40分で到着します。
3つの島の中心に位置し、周囲19.1km、面積11.7k㎡、椿、つつじ、車輪梅の原生林や野生の孔雀が街中を闊歩するのどかな風景が見られる島です。
畜産と漁業を主な産業とし、温泉や名所旧跡(安徳天皇・僧俊寛)など豊富な資源の生かした観光も盛んな島です。
黒島は、硫黄島から約1時間で到着する村最大の島で、東西に大里と片泊の二つの集落があり、村の人口の約半数が居住します。
周囲15.2km、面積15.3k㎡、標高622mの櫓岳を最高峰に、500m級の山々がそびえ、断崖絶壁の海岸線には、無数の滝が見られる森林と大名竹に覆われ自然が豊かであり、平成23年7月「薩摩黒島の森林植物群落」として国の天然記念物指定を受けました。
地区名 | 世帯数 | 人口 | |||
---|---|---|---|---|---|
男 | 女 | 総数 | |||
竹島 | 40 | 30 | 42 | 72 | |
硫黄島 | 62 | 60 | 64 | 124 | |
黒島 | 大里 | 66 | 50 | 60 | 110 |
片泊 | 34 | 37 | 41 | 78 | |
計 | 202 | 177 | 207 | 384 |
区分 | 世帯数 | 人口 | ||
---|---|---|---|---|
年次 | 総数 | 男 | 女 | |
昭和35年 | 384 | 1,363 | 656 | 707 |
昭和40年 | 281 | 874 | 387 | 487 |
昭和45年 | 237 | 655 | 302 | 353 |
昭和50年 | 235 | 628 | 289 | 339 |
昭和55年 | 279 | 619 | 315 | 304 |
昭和60年 | 271 | 552 | 266 | 286 |
昭和61年 | 256 | 529 | 253 | 276 |
昭和62年 | 264 | 556 | 261 | 295 |
昭和63年 | 258 | 515 | 238 | 277 |
平成元年 | 251 | 509 | 241 | 268 |
平成2年 | 258 | 503 | 234 | 269 |
平成3年 | 252 | 504 | 236 | 268 |
平成4年 | 248 | 483 | 224 | 261 |
平成5年 | 250 | 479 | 223 | 256 |
平成6年 | 244 | 472 | 217 | 255 |
平成7年 | 238 | 475 | 219 | 256 |
平成8年 | 230 | 453 | 211 | 242 |
平成9年 | 230 | 461 | 220 | 241 |
平成10年 | 226 | 442 | 212 | 230 |
平成11年 | 227 | 446 | 213 | 233 |
平成12年 | 234 | 459 | 214 | 245 |
平成13年 | 224 | 427 | 199 | 228 |
平成14年 | 218 | 417 | 194 | 223 |
平成15年 | 218 | 417 | 196 | 221 |
平成16年 | 217 | 414 | 201 | 213 |
平成17年12月末 | 216 | 423 | 197 | 226 |
平成18年12月末 | 217 | 428 | 197 | 231 |
平成19年12月末 | 213 | 406 | 186 | 220 |
平成20年12月末 | 212 | 405 | 187 | 218 |
平成21年12月末 | 209 | 391 | 181 | 210 |
平成22年12月末 | 209 | 388 | 179 | 209 |
平成23年12月末 | 202 | 371 | 170 | 201 |
平成24年12月末 | 204 | 359 | 174 | 185 |
平成25年12月末 | 207 | 356 | 168 | 188 |
平成26年12月末 | 207 | 375 | 179 | 196 |
平成27年12月末 | 213 | 388 | 188 | 200 |
平成28年12月末 | 207 | 379 | 186 | 193 |
平成29年12月末 | 205 | 384 | 189 | 195 |
平成30年12月末 | 200 | 373 | 186 | 187 |
令和元年12月末 | 199 | 366 | 178 | 188 |
令和2年12月末 | 202 | 384 | 177 | 207 |
国調人口(人) | 減少率(%) | 高齢者 比率 平成 12年 10月 (%) |
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地区名 | 昭和 40年 |
45年 | 50年 | 55年 | 60年 | 平成 2年 |
7年 | 12年 | 45 / 40 |
50 / 45 |
55 / 50 |
60 / 55 |
2 / 60 |
7 / 2 |
12 / 7 |
|
竹島 | 162 | 115 | 94 | 116 | 114 | 97 | 119 | 91 | 29.0 | 18.3 | 23.4 | 1.7 | 85.1 | 22.7 | 23.5 | 30.8 |
硫黄島 | 309 | 186 | 208 | 198 | 168 | 173 | 149 | 150 | 39.8 | 11.8 | 4.8 | 15.2 | 3.0 | 13.9 | 0.6 | 25.3 |
黒島 大里 |
192 | 201 | 195 | 186 | 149 | 139 | 131 | 141 | 4.7 | 3.0 | 4.6 | 19.9 | 6.7 | 5.7 | 7.6 | 29.8 |
黒島 片泊 |
211 | 309 | 131 | 119 | 121 | 94 | 114 | 118 | 27.5 | 14.4 | 9.2 | 1.7 | 22.3 | 21.2 | 3.5 | 29.7 |
小計 | 403 | 192 | 326 | 305 | 270 | 233 | 245 | 259 | 12.2 | 7.9 | 6.4 | 11.5 | 13.7 | 5.1 | 5.7 | 29.7 |
合計 | 874 | 211 | 628 | 619 | 552 | 503 | 513 | 500 | 25.1 | 4.1 | 1.4 | 10.8 | 8.9 | 2.0 | 2.5 | 28.6 |
本村の気象は、おおむね亜熱帯的海洋性気候で、東は太平洋、西は東シナ海に面し、黒潮の影響を受け気候は極めて温暖です。しかし、台風の進路に当たり、また、冬の季節風が強いため四季を通じて風潮害がきわめて大きく、雨量は年間およそ200~250mm程度です。
島名 | 位置 | 周囲 km |
面積 km2 |
鹿児島港からの距離 km |
||
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観測点 | 北緯(N) | 東経(E) | 19.4 | 31.22 | ||
竹島 | 集落 | 30°48’32” | 130°48’32” | 9.7 | 4.20 | 94 |
硫黄島 | 硫黄岳 | 30°47’22” | 130°48’32” | 14.5 | 11.65 | 108 |
黒島 | 櫓岳 | 30°49’29” | 130°48’32” | 15.2 | 15.37 | 153 |
就業別人口(平成12年国勢調査)(人)
第1次産業 | 第2次産業 | 第3次産業 | 合計 |
---|---|---|---|
40 | 103 | 115 | 258 |
本村の農業は、畜産(黒毛和牛の生産)が主で、牧場整備や草地改良、優良牛の導入等、基盤整備を積極的に展開し近代的な畜産経営の改善や、村独特の周年放牧による低コストと生産技術の向上から、農家一戸当りの飼養頭数も15頭まで増え、年間の販売額は1億円を超える。(農業粗生産額のほとんどを畜産が占めている。)また、三島の黒毛和牛は市場で高く評価されており、「みしま牛」のブランド確立が、今後の畜産振興の課題である。
飼養頭数等(黒毛和牛)(平成18年1月1日現在)
島名 | 飼養頭数(頭) | 農家数(戸) | 備考 | |
---|---|---|---|---|
竹島 | 140 | 9 | 畜産農家のほとんどが兼業であり 専業農家は数戸のみである。 |
|
硫黄島 | 124 | 3 | ||
黒島 | 大里 | 182 | 21 | |
片泊 | 105 | 6 | ||
合計 | 551 | 39 |
村の大半を占める豊富な森林資源や竹林資源を利用し、椎茸栽培、竹の子生産加工を精力的に行っているが、高齢化による労働力の低下と人手不足で生産量も年々減少の一途をたどっている。硫黄島には自然林及び人工林合わせて約46haの椿林があり椿の実の採実量は多い年で16トンにもなる。その椿の実を絞って作る椿油は、村の特産品の一つとして販売されており好評を得ている。また椿油を使った石鹸、シャンプー、リンスも好評を得ている。
島の周辺は好漁場に恵まれているが、経営規模が小さく漁法技術の遅れなどから、これらの資源を生かしきっていない。そこで村は、平成16年度に「漁業体験船」を建造し、都会の人との交流を図るなど、水産業振興に力を入れている。現在、最も売り上げ高が多いのはイセエビ漁である。
村の観光資源は、他に類のない手つかずの自然の美しさである。特に硫黄島は火を噴く火山「硫黄岳」をはじめ、地球との出会いを実感させる奇観と、無限に湧出する温泉やツワブキ、竹の子などの山の幸や椿油の原料となる椿の自然林、石鯛等の釣り場、俊寛僧都流罪の遺跡や安徳帝墓所等々、観光資源に恵まれている。全国各地のヨットマンが参加するミシマカップや平成6年から始まったジャンベ・ワークショップ、平成8年に世界初、伝説の島の砂舞台で上演された三島村歌舞伎「俊寛」は有名である。
平成13年10月から、新たに建造したカーフェリー(1,196トン)が週3回鹿児島港と結んでいる。大型化、フェリー化、高速化により、本土との時間距離も大幅に短縮された。しかし、事業収益がほとんど上がらない年間2億余円の赤字航路のため、民間企業が進出しないことから、村民の命を守る生活航路として村が運営している。村道は、総延長43km(198m)うち舗装済みが36kmであり、約82%の舗装率となっている。また、村唯一の県道221号線が黒島大里~片泊間(約9km)を結んでいる。空の交通は、以前、日本初の村営飛行場(硫黄島)と枕崎空港との間に航空路が開設され、チャーター便が飛んでいたが、現在は枕崎空港が閉鎖しているため、やむなく休止している。
各島(各地区)に合計4箇所の診療所を設置、それぞれ看護師を配置している。また、平成12年10月から、鹿児島赤十字病院の医師が3ヶ月ごとに派遣されている。
平成9年10月から小・中学生の「しおかぜ留学制度」を実施している。現在、村の小・中学校に24名の子供達(別表のとおり)が留学し、温かい住民の心と大自然に囲まれ、伸び伸びと学んでいる。子どもが巻き込まれる事件・事故が多い昨今、自然の中で元気よく遊べる環境が、留学の人気の要因となっておりリピーターも多い
しおかぜ留学制度の状況(令和2年5月1日 現在)
学校名 | 児童・生徒総数 | ( )内留学生 | ||
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児童 | 生徒 | 計 | ||
三島竹島学園 | 12 | 7(1) | 5(5) | 12(6) |
三島硫黄島学園 | 23 | 16(4) | 7(6) | 23(10) |
三島大里学園 | 19 | 10(2) | 9(6) | 19(8) |
三島片泊学園 | 23 | 12 | 11(2) | 23(2) |
合計 | 77 | 45(7) | 32(19) | 77(26) |
順位 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 在任年数 | 備考 |
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初代 | 安永幸内 | 昭和21年2月22日 | 1 | ||
二代 | 〃 | 昭和22年4月30日 | 再任 | 4 | |
三代 | 〃 | 昭和26年4月30日 | 〃 | 4 | |
四代 | 〃 | 昭和30年4月30日 | 昭和33年2月1日 | 2.10 | 死亡 |
五代 | 安永政次郎 | 昭和33年3月25日 | 4 | ||
六代 | 〃 | 昭和37年3月5日 | 再任 | 4 | |
七代 | 〃 | 昭和41年3月10日 | 昭和42年8月22日 | 1.6 | 死亡 |
八代 | 森田愛蔵 | 昭和42年10月8日 | 昭和46年10月7日 | 4 | |
九代 | 栗原正 | 昭和46年10月8日 | 昭和50年10月7日 | 4 | |
十代 | 〃 | 昭和50年10月8日 | 再任 | 4 | |
十一代 | 〃 | 昭和54年10月8日 | 〃 | 4 | |
十二代 | 〃 | 昭和58年10月8日 | 〃 | 4 | |
十三代 | 〃 | 昭和62年10月8日 | 〃 | 4 | |
十四代 | 〃 | 平成3年10月8日 | 〃 | 4 | |
十五代 | 〃 | 平成7年10月8日 | 〃 | 4 | |
十六代 | 〃 | 平成11年10月8日 | 〃 | 4 | |
十七代 | 〃 | 平成15年10月8日 | 平成17年10月22日 | 2 | 死亡 |
十八代 | 大山辰夫 | 平成17年12月4日 | 平成21年12月3日 | 4 | |
十九代 | 日髙郷士 | 平成21年12月4日 | 平成25年12月3日 | 4 | |
二十代 | 大山辰夫 | 平成25年12月4日 | 平成29年12月3日 | 4 | |
二一代 | 〃 | 平成29年12月4日 | 再任 | 現在 |
昭和35年国勢調査では1,363人を数えた人口も、昭和45年の国勢調査では655人と10年間で半減した。それ以降も減少の一途をたどり、平成12年の国勢調査では、500人となり40年間で865人(63.4%)も減少した。
また平成18年4月現在の65歳以上の人口の占める割合は、約34.8%(142)と高齢化が著しく進んでいる。村内には高等学校がなく、毎年10人前後が中学校卒業と同時に、村外の高等学校進学のために村を出て行くが、卒業後に帰村する者はなく「若者が去り老人が残される」という過疎地特有の人口減パターンとなっている。
これ以上の人口減少は、地域の維持さえ難しくなることが懸念されることから、村はU・Iターン者の定住奨励を重点施策に据え、村外からの移住者を募り、移住しか家族には子牛1頭(50万円相当)をプレゼント、更に家族数に応じ3年間、生活助成金を毎月支給し、新築の1戸建て庭付きの村営住宅を格安な家賃で提供するという「定住推進対策事業」に平成2年度から積極的に取り組んできた。
その結果、平成18年4月現在、30世帯81人の方々が村に移住され村の貴重な労働力として活躍している。
人口の減少に歯止めを掛けるには、就業機会、特に若者の働く場を創出し、定住促進対策事業を強力に進める必要があるが、本土と隔絶された小離島の能力の限界から、企業誘致は難しい状況にある。
また、観光の振興についても、天候に左右される週3便の船便のみでは、おのずから限界がある。
また、村には農協・銀行等、資金融資を行う金融機関がないため、農林水産業資金や住宅建築資金等に対する、村独自の融資制度(年利1%)を創設し、産業の振興と民生の安定化に努めている。
平成2年から、海を生かしたイベントとして実施、平成18年で14回(途中台風襲来等により3回中止)を数える。県内外から約50艇のヨットが参加し、山川港沖から竹島港沖までのレースを展開、夜は硫黄島で村特産の魚や竹の子等、山海の珍味をふんだに使った「バーベキューパーティー」や、降るような星空に向けて打ち上げる花火大会、野外ステージでのコンサート等が行われ、人口150人程度の島が当日は700人を超える人で賑わう。村民にとっても楽しみな、年に一度の大イベントである。
平成6年から交流を続けている西アフリカの世界的なジャンベ奏者「ママディ・ケイタ」氏との出会いにより、彼から伝授された「ジャンベ(アフリカのパーカッション)」は、三島村を代表する音楽と楽器になった。平成9年には、職員3名をギニアに派遣して事前調査を行い、平成11年1月には、村の中学生4名を派遣、国際交流を行った。この音楽を通じた国際交流は、衛星放送を通じて全国に放送され大きな反響を呼んだ。また、平成13年8月には、村内4地区の小・中学生が、ドイツとベルギーの町でジャンベ演奏会を行うなど、ヨーロッパでも国際交流を行った。子供たちにとって、このような貴重な体験は、これからの人生に大きな影響を与えるものと考える。今後は、相互交流が進むことにより新しい展開が期待されている。また平成16年3月、日本初、アジア初のジャンベスクール「みしまジャンベスクール」が開校、今後、ジャンベを通して更に交流が進み、村の活性化につながるものと期待されている。
俊寛伝説の島づくりとして、俊寛像の建立や俊寛堂の整備を進め、その集大成として、中村勘九郎一門(現 勘三郎)による日本初、伝説の地での野外歌舞伎、三島村歌舞伎「俊寛」を上演し日本中の話題となった。この三島村歌舞伎「俊寛」の上演記念碑の建設を機に、毎年春に村外からツアー客を誘致し俊寛伝説の探訪と竹の子やツワ狩りが楽しめるイベント「俊寛まつり」を開催し好評を博している。