三島村総合観光パンフレット
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ul年月!村年表 WonderfSmall isMISHIMAMURA明治初年在番所時代明治8年明治18年明治22年戸長制時代私学校時代町村制施行硫黄島郵便局開設島嶼町村制施行大島島庁が改称明治22年明治35年明治40年大正15年昭和2年8月天皇陛下奄美大島行幸昭和5年4月小学校令施行昭和7年4月高等科設置認可される昭和8年4月十島丸就航昭和9年9月海底大噴火昭和10年4月青年学校設置昭和16年3月金十丸就航昭和16年12月太平洋戦争勃発昭和20年4月船舶の国家管理昭和20年8月終戦昭和21年2月旧十島村分断〃三島村設立委員会開催〃村長発令〃役場開庁〃行政管轄鹿児島郡に編入5月戸籍事務等開始10月三島丸就航12月村有船舶米軍に接収昭和22年4月硫黄島中学校設立〃黒島小学校に昇格〃初の村長及び村議会議員選挙執行8月十島丸返還10月役場新築移転昭和23年5月重成知事三島村視察〃村税賦課徴収条例等の公布6月農業協同組合設立昭和24年4月小学校・中学校の名称変更及び昇格〃郵便局分室開設6月戸籍簿等返還7月診療所を設置8月漁業組合設立12月金十丸返還の請願参議院採択昭和25年4月県議会議員の選挙区5月役場出張所を設置8月巡査部長派出所設置12月G・H・Qに村長議長出頭昭和26年3月財産処分決定7月分村について住民一般投票〃村名変更について住民一般投票10月ルース台風猛威を振るう12月下七島日本に復帰昭和27年2月村の協会変更許可〃村の名称変更条例施行7月金十丸帰還竹島に在番所が置かれた(明治以前は島津藩から上三島の竹島、下七島の中之島に代官が派遣されていた)。薩摩国川辺郡に属す。金久支庁西之表出張所轄下に入る。硫黄島に長浜衛守翁による私塾が地区経営の形で運営され、小学校令施行まで続けられた。黒島は明治17年頃、現在青年倶楽部の所在する地に草屋根の小屋を建て、禅宗の僧侶・日高晋勢氏が創始し、その後田畑為秀、生駒友之進、法貞悦の各氏が地区の招きに応じて子弟を寺子屋式に教授している。旧十島村にはこの制度は適用されず、大島郡に編入。大島支庁の管轄となり、役場は中之島に設置された。硫黄島に郵便局が開設される。初めて自治体として島嶼町村制施行される。大島島庁から大島支庁に改称。天皇陛下奄美大島に行幸の際、村の窮状を聴召される。硫黄島尋常小学校認可。竹島、大里、片泊は分校として同時に施行。小学校に高等科設置認可される。村民の熱烈な運動が功を奏し、大蔵省から起債6万円を許可され、十島丸近海第二級貨客船(155t)を建造。4月から就航した(建造費7万2000円)。青年学校令施行と同時に青年学校を小学校に併設。村内の交通は十島丸で辛うじて緩和されたが、税源に乏しく村財政を維持する為に稼働財源を必要としたので、金十丸を建造した(建造費70万円)。船舶戦時海運管理令により村営船金十丸、十島丸船舶運営会において管理運営される。無条件降伏の詔勅が下る。連合国覚書により、北緯30度線を暫定国境線と定めたため、旧十島村が分断され、竹島、硫黄島、黒島(現三島村)のみが残る。仮称「三島村」設立委員会(第一回公民総会)が開かれる。◎いわゆる「建村日」。仮村長安永幸内氏に鹿児島県知事より十島村長臨時代理者に発令される。役場を鹿児島市稲荷町12番地に開庁(当時議員三名)。内務省告示第22号により行政管轄鹿児島郡に決まる。鹿児島地方裁判所長と司法省民事局長のりん伺回答によって戸籍及び司法関係事務鹿児島地方裁判所の管轄下となる。機帆船三島丸(33t)就航。農業会に委託運営させる。村有船舶「金十丸、十島丸」在沖縄米軍に接収され運輸大臣より船舶使用廃止(船舶運営会で運営していた)の通達あり。六、三制の施行に伴い、硫黄島中学校を創立。竹島、片泊、大里にそれぞれの分校を設置(硫黄島、竹島、大里、片泊とも小学校に併設)。「硫黄島小学校大里分校」を「黒島小学校」に昇格(片泊分校はそのまま)。初の公選村長に安永幸内氏、村議会議員に日高畩之進氏を選出。米軍に接収された十島丸の返還運動を行った結果、同船が返還され、鹿児島~三島~屋久島航路に就航。同市築町52番地に変更(建築費40万円)。重成鹿児島県知事一行(県議を含む)三島村視察。村議会の議決を経て鹿児島県知事の許可を受けた村税賦課徴収条例外、諸条例が公布される。農業協同組合法に基づく三島村農業協同組合設立。「硫黄島中学校」を「三島中学校」に改称。「硫黄島小学校竹島分校」を「竹島小学校」に昇格。「黒島小学校」を「大里小学校」に改称。「黒島小学校片泊分校」を「片泊小学校」に昇格。鹿児島郵便局黒島分室及び、竹島分室開設。戸籍簿、土地台帳等の関係公簿、外務省を通じて返還される。三島村診療所を硫黄島に設置。三島村漁業協同組合を設立。金十丸返還に関する請願が参議院において採択される。県議会議員の選挙区が鹿児島郡に編入される(昭和25年法律第100号)。硫黄島、片泊、大里、竹島に役場出張所を置く。鹿児島警察署硫黄島巡査部長派出所が設置される。旧十島村財産(船舶)処分のため、村長及び議長が連合軍総司令部に出頭を命ぜられる。十島丸を三島村が、金十丸を十島村が所有することに決定。下七島日本復帰近しの報に、正式に分村するか否かについて住民の賛否投票を行う。投票結果 投票総数  676票     内有効投票 675票 分村に賛成 651票 ・ 分村に反対 24票村名変更について、分村の賛否投票と同時に執行される(三島村493票で第1位、次いで新三島村82票、3位美島村31票、4位昭和村26票、5位三和村20票)。ルース台風により村全域にわたり甚大な被害を受けた。連合国最高司令官党書「若干の外かく地域の日本からの政治上及び行政上の分離に関する件」に基づき、北緯29度線以北の下七島(旧十島村の一部)日本に復帰。下七島の日本復帰により鹿児島県大島郡に関する地方自治体の適用及びこれに伴う経過措置に関する政令(昭和27年政令第13号)により、下七島は新たな村として発足。本村は村の境界を北緯30度線以北の竹島、硫黄島、黒島に変更する行政手続きをとった。村の境界変更と併行し、村の名称「十島村」を「三島村」と改称する条例を知事の許可を得て公布した。◎法令上の「建村日」。金十丸は奄美米軍政府管轄下の奄美商船(株)が管理していたが、十島の日本復帰により強制帰還した。主 要 件 名説   明34

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